法要と心の整理(生存報告のようなもの)

すっかり落ち着いたと思っていた精神状態は

祖父の一周忌が近づくにつれて不安定になり

法要を機にかなり乱れてしまっていた。

祖父のことを夢に見て物思いに沈んだり

突発的に思い出しては泣いたりもしていた。

医者にも相談して夜は眠れるようにして

助言通り時が経って落ち着くのを待っていた。

今は外に目を向けて娯楽を楽しめるようになったが、

一時期は本当に死ぬことばかり考えていた。

 

両親と過ごすより長い時間を祖父母と過ごした自分にとって

祖父の死とは思っていた以上にショックが大きく

一年経っても簡単に心の整理がつかないものだと思い知った。

いや、整理がつかなかったのではなく、心なんて整理していても

ちょっとの刺激で容易に乱せるものだという方が正確か。

 

法要は死者の追善供養をするためでなく

死を意識し往生を願う機縁とであると僧侶は言ったが

「死を意識する」という点はまさにその通りだった。

親戚と集まって食事をする時間くらいに捉えられたら幸せだったのだが、

法要で自分の心は祖父の死という現実を再認識して乱れに乱れた。

 

この世には死があり避けられない別れがある

そのことを改めて突きつけるのが法要で

本来は仏教がその現実から救ってくれるはずなのだ。

だが、悲しいかな現代に生きる自分には

そこで仏に帰依して一心に念仏するというふうにはいかない。

厭世観だけがつのって救いがない。

それがこの数か月の苦しみの原因だったのだと思う。

 

往生という救いが救いにならない自分にとっては

仏教が説くのとはむしろ反対の方向に進み

この世への執着を強くするしかない。

この世は美しく価値があり生きるに値すると思うのだ。

そんな感じで、映画を見たり美術館に行ったり

娯楽に目を向けるようにしてみた。

虚しさに足をすくわれてはいけない。

自分はこの世でこそ生きるのだと思うしかない。

そんな感じで今を過ごしている。