喪とお正月

服喪といっても今や法律で定められたものではない。

かつての法律に従うとしても既に服喪期間は過ぎている。

(祖父母の場合は長くても6か月が目安らしい)

また、浄土真宗では喪という概念を採用しないという。

(葬式だけの付き合いとはいえ一応うちは浄土真宗

つまり、自分は今「喪中」ではないということになる。

新年おめでとうと言ってもいいし、

年賀状だって出していいし、

所謂お正月らしいことを楽しんでも何も問題はない。

ただ、だからといって何の迷いもなくそうできるかというと、

正直なところお正月を楽しもうという気にはならなかった。

しきたりだからとかそういうことではなく、

心境として意識的に「喪中」ということにした。

自分はまだ祖父の死を受け入れる途上にあって、

今はまだ心から喜ぶということができないのだ。

新年おめでとうというのは

一年生き延びてまた新しい年を迎えられて良かったね

ということであって、

まだ死を引きずっている人間には言えない言葉だ。

まあ、死を救いとみるならば

これでまた死に一歩近づいたねおめでとう

というふうに言えなくもないけど

それはそれで煩悩の塊の自分には素直に言えそうにない。

こんなことをぐるぐる考えながら三が日を過ごしていた。

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

お馴染みのこの狂歌が今年は特に心にしみる。