読書記録:小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』

「・・・・・・吉田、って誰」と兼好法師が呟く遊び心のある帯ですが、

中身は遊び心とは無縁の大変手堅い内容となっています。

同時代資料を駆使し当時の制度・慣習にも目を配ることで、

兼好法師の真の姿を描き出すことに成功した良書です。

 

しかし、徒然草って何?兼好法師って誰?という方が読むと

情報量の多さに溺れそうになると思うので、

そういう方には先にこちらを読むことをおすすめします。

話の前提として従来いわれてきた経歴を本書から引用するとこんな感じ

「京都吉田神社の神官を務めた吉田流卜部氏に生まれた」

村上源氏一門である堀川家の家司となり、朝廷の神事に奉仕する下級公家の身分」

「堀川家を外戚とする後二条天皇の六位蔵人に抜擢され、五位の左兵衛佐に昇った」

この経歴を根拠に、出家した一因や『徒然草』の解釈がなされてきた。

ところが、この出自が「結果として造られた虚像であった」ことを筆者は説く。

そもそも天皇身辺に奉仕し公家と日常的に接する立場の人間であれば、

同時代の日記・記録に何らかの記載が残るはずであるのにそれが見られない。

この点への疑問からスタートし、当時の制度・慣習に照らしながら、

卜部家出身の兼好が天皇の側近く使える身分にはなりえなかったことを指摘する。

そもそも前記の兼好の伝記の根拠である吉田神社の吉田流卜部氏の出であること自体

「兼好一家を掲載する系図は、吉田家がその歴史を粉飾し、鎌倉時代の数少ない

有名人であった兼好を一門に組み込んだ、捏造である」ことを断ずる。

吉田兼好」なる人物を捏造したのは室町中期の当主にして著名な神道家、

兼倶(1435~1511)なる人物の企てたことで、「「吉田兼好」とは兼倶のペテン

そのもの」であり「五百年にわたって徒然草の読者を欺き続けた」ことを明らかにする。

その証明と、真の兼好の姿を明らかにするために費やされた第二章から第六章は、

同時代の社会の姿を映し出して大変面白いので是非じっくりと読んでほしい。

個人的には第二章「無位無官の「四郎太郎」―鎌倉の兼好」での、

金沢文庫古文書』の分析が興味深かった。

簡単に言うと紙が貴重だった当時は、手紙を再利用してその裏に経文などを書写することがあった。

その元来の手紙側を復元し、差出人や年代を推定し整理したものがこの文書(十九冊に及ぶ)。

これを調べると「兼好」「卜部兼好」「うらへのかねよし」という人物が出てくる。

そこから兼好の本来の素性・母や姉の存在、父の素性など実際の家族が浮かび上がらせていく。

このあたりも自分の下手な読書記録ではうまく説明ができないので是非読んでほしい。

筆者も述べているが第二章を読むと、この分析を支える資料を提供する金沢文庫の長年の研究活動に頭が下がる。

面白い研究、華々しい成果の裏には、地道な研究があることも思い出させてくれる。

 

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実 (中公新書)