お盆の帰省と遺影について

ようやく帰省の疲れもとれてきたのでブログを書くことにした。

今年は祖父の初盆のため、久しぶりにお盆シーズンの帰省となった。

実家で長く過ごしたせいか、こちらに戻ってきた時、

「思えば遠くへ来たもんだ*1」が頭で流れるくらいには疲れていた。

本当に、なんでこんな遠くで暮らすことになったのか。

閑話休題

 

13日はお経をあげに御院家さん*2が来るので、12日に墓参りに行って掃除等をした。

日当たりの良い場所に墓はあるため花も暑さで三日ともたない。

墓石も熱せられていて、真夏の墓掃除はなかなかの重労働に思える。

襲い掛かる蚊も寺の敷地内だし殺生はいかんかと耐えた。

こんな暑いところにいないで涼しいところで過ごそうと祖父を迎えに行ったが、

この暑さでは迎えるまでもなく帰ってきていたかもしれない。

 

仏間にはお供えが所狭しと置かれていて、本人不在が不思議に思えてきた。

甘いものが好きだったけど、好物の落雁もお菓子ももう食べられないのかと。

お盆だから魂は帰ってきているといっても姿が見えないのだからしょうがない。

デイサービスに行っていていないんじゃないんだよなと改めて思った。

ふと見ると仏壇の側には遺影とは別に祖父の写真が飾られていた。

通っていたデイサービスの施設で撮ったもので、職員さんが持ってきてくれたらしい。

はにかんだ表情のものだ。見ると、ああこれが祖父の笑顔だと思って涙が出てくる。

祖父の遺影は結婚式の記念写真からとったもので少し硬い表情をしている。

叔母などは、スナップ写真の方を見て、こっちの方がおじいちゃんらしいと言うが、

遺影の写真がもしこの笑顔だったら、目にするたびに泣いてしまう気がした。

笑顔の写真は、生きてその顔を二度とみられないことを思い知らされる。

去年はこの笑顔で迎えてくれたよななんて思ったら、抑えられていた別離の悲しみが

またこみ上げてきて平静を装っていられなくなる。なにせまだ半年だっていないのだ。

だから遺影は少し硬いくらいの表情でいい。

ちょっとよそよそしく距離があったほうが、見ているこちらも距離が取れる。

 

 

 

*1:武田鉄矢の曲の一節。一応断っておくがリアルタイムの世代ではない。

*2:うちでは浄土真宗の僧侶をこう呼ぶ