祖父の死と自分の死

祖父が死んだ。

倒れて病院に運ばれたと聞いた時、慌てて駆けつけなくても大丈夫と母は言った。

今にして思えば、母自身、これは危篤なのだと認めたくなかったのだと思う。

認知症が進んでいたとはいえ、体は元気だとばかり思っていたからだ。

病室で対面した祖父は人工呼吸器をつけ、会話はできない状態だったが、

まだ辛うじて意識はあったのか呼び掛けには反応していた。

だから、このまま回復するのではないかとその時は誰もが思っていた。

祖母は人騒がせだねとさえ言っていた。

だが、そんな希望は翌日の医師の言葉で打ち砕かれた。

 

もって1か月と言われた1週間後に祖父は息を引き取った。

最初に見舞いに行ってから3日後には呼びかけに反応しなくなっており

亡くなるまでの日々は、ただ見守ることしかできない毎日だった。

 

会わせたい人がいれば連絡したほうがいいとか

連れて帰るときの服は用意しているかとか

そんな事を言われるたびに助からないのだと思い知らされた。

 

頑張って生きてほしいと願う一方で死んだときの準備を進めなければならない。

生き残るものの仕事なのだと言い聞かせて一つ一つを片付けていった。

 

穏やかな最期だったので横たわった祖父は今にも目を覚まし起き上がりそうだった。

火葬場で骨になった姿を見たとき、ただ眠っているだけじゃないのかなんていう

ぼんやりとした思いは打ち砕かれた。

 

正直、今でも祖父が死んだことが信じられない。

部屋に行って声をかければ、「おお」と返事をして出てきそうだ。

子煩悩で幼い頃から自分をかわいがってくれた祖父は

大学進学で実家を出て以来、年に数日しか戻れない自分の帰りをいつも待っていた。

 

生きているうちに、もっとできることがあったんじゃないか。

そんな思いがぐるぐると頭を駆け巡る。

 

祖父の死という現実を突きつけられた瞬間

自分の体の一部が失われたような感覚に襲われた。

恐らく、祖父の中に生きていた自分が永遠に失われた瞬間だったのだ。

 

気持ちの整理をつけたくて書きなぐったけれど

死を受け入れるにはまだ時間がかかりそうだ。