その子二十

お題「20歳」

 

その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

与謝野晶子『みだれ髪』) 

その子は二十歳、髪を櫛でとけば流れるような黒髪で、その黒髪のように誇らしげな青春のなんと美しいことか

―とでも訳せばよいでしょうか。

 

成人の日もとうに過ぎた今日になって20歳のお題でブログを書く自分は

二十でもないし、ながるる黒髪の持ち主でもないのであしからず。

お題スロットをぐるぐると回していて「20歳」というお題を目にした瞬間、

この与謝野晶子の短歌を思い出したのでつらつらと書いているだけです。

 

実際に20歳当時に詠んだのか後に詠んだのかどうだったかわからないですが、

『みだれ髪』を出した時、与謝野晶子は23か24だったので、

少なくとも近い年齢の時に詠んでいるはず。

いずれにしろ、物凄い肯定感にあふれていて、どうだと言わんばかりの歌には圧倒されるばかりです。

まあ、

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

とか歌っちゃうくらいの人なんで、「おごり」を「うつくし」と言い切れるんでしょう。

 

自分の20歳の頃のことを思い出すと黒歴史というお題で記事が書けるくらいに、

消してしまいたい恥ずかしさがこみあげてきて「うつくしきかな」とか言ってられません。

20歳の自分は驕っていたし、この世の春をそれなりに謳歌していただろうし、

それこそ時よとまれと思っていた気もします。

なんでしょう、20歳の自分に会えるのなら、思い切り殴って

目を覚ませそんなのは春の夜の夢だぞと言ってやりたいですが、叶わぬことです。

 

当時この歌を読んでも特になんとも思わなかったのですが、年をとると変わりました。

己の過去の恥ずかしさを刺激しながらも、今目の前にある「おごりの春」を

「うつくしきかな」と詠嘆したくなる不思議な気持ちになります。

自分が失ってしまった「時」あるいは「可能性」を手にしている姿は眩しいものです。

 

ある人が、「若い頃はうぬぼれてもいい、年をとるとうぬぼれることもできなくなる」と言っていたけど、

年をとってその意味がわかるようになりました。

根拠のない自信に溢れ、自分の人生はこの先うまくいくと思い込んでいたあの日、

なんにもなれない自分を想像だにしていなかった愚かさ、

そういったものを思い出しながら今は身の程を知るばかりの毎日です。

 

結論として、今二十歳の時を謳歌している人がうらやましいというお話でした。

 

ちなみに、『みだれ髪』は青空文庫でも読めます。