秋の物思いとお彼岸

春のお彼岸の頃に祖父は亡くなった。

あれからもう半年経つのかと不思議な気持ちで秋のお彼岸を迎えた。

秋の涼しさとお彼岸という行事が相まってなんとなく物思いにふけってしまう。

お彼岸に合わせて売られているおはぎを見ても、

甘いものが好きだったなあ、買って帰ったら喜ぶだろうなあ、

いやもう死んでるから食べられないんだ―という感じで思いが巡る。

もう半年のようなまだ半年のような。

整理したはずの気持ちが乱れる。

書くことでまた整理をしようと思うのだけれど、

同時にそれは祖父の死という現実を改めて見ることでもある。

 

 

読書記録『歎異抄』

歎異抄の詳しい内容や解釈などをお求めの方は

ご期待には添えませんのでお帰り下さい。

 

神も仏も信じていなかった祖父ではあるが、

今は阿弥陀如来の導きによって浄土へ往生したということになっている。

本人は人間死んだらそれまでだと言っていたが、遺された身としては

祖父は浄土にいて死ねばまた会えると思っていた方が心が休まるものである。

そういう点では、自分は仏教に助けられていると言っていいだろう。

祖父が亡くなるまで自分の家が浄土真宗とも知らずに育ったわけだが、

改めてそうなんだと言われるとどんな宗派なのか気になりはじめ、

おぼろげな記憶で浄土真宗といえば『歎異抄』と思いつき、

薄さにつられて読むことにした。

 

歎異抄』は親鸞の死後に弟子が記したもので、様々な異説を嘆き、

本来の教え*1を改めて説いている。

今では「他力本願」というと、自分で努力せずに何でも人任せにするという

悪い意味で使われがちだが、本来は広く衆生を救おうという阿弥陀如来の本願を言う。

その本願を信じて念仏することが大事と説く中で印象的だったのが以下。

念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、

また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じてもて存知せざるなり。

たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、

さらに後悔すべからずさふらふ。

                (『歎異抄岩波文庫42頁1~4行)

念仏をすれば本当に往生できるのかどうか疑う人に対し、知らないと言ったうえで、

自分はたとえ法然に騙されていて、念仏して地獄に落ちても後悔しない

と言い切るのが凄い。

どのような修行をしても仏にはなれないのであれば、

いずれにしても地獄が住処なのだろう(「とても地獄は一定すみかぞかし」)。

だから自分は阿弥陀如来の本願を信じて念仏する。

信じるか信じないかはあなたの自由ですよという。

というようなことも続けて述べているが、これは覚悟の現れであろう。

(なんとなく、この人が流罪の憂き目に遭うのわかる気がする。

こういう覚悟を持った人が自分と対立する側にいたら怖いでしょう。)

第一章に阿弥陀如来の本願は「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願」

とあるが、親鸞もまた自分を「罪悪深重、煩悩熾盛」の人間と思っていたのだろう。

どんなに修行しても仏になることはできない。そんな人間が唯一救われる道が、

阿弥陀如来を信じ念仏する道だと。

 

次はどうでもいいことですが、気になったことをメモしておく。

親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏まうしたること、

いまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々の

父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏になりて

たすけさふらふべきなり。 

                           (同 48頁)

七回忌を前にお寺の方から、法要は亡くなった方のためではなく、

生きている皆様の為にすることだと言われたけれど、それと繋がる。

最初に言われた通り、亡くなった時点で祖父は阿弥陀如来の力で

往生しているのだから救ってもらうための読経はいわないことになる。

では、生きている人間はなんのためにお経をあげるかというと、

家族の死を機会に仏縁を結び自らが救われるためであると。

自らが仏になることでまた他人をも救うことができるのだから、

そのことを一念に思うべきであるということだろう。

でも追善したいと思うのが一般的だから、とりあえずお寺としても

初七日とかお盆とかやっているということなんでしょうかね。

他にも気になることはいろいろあるけど、最後にこれをあげておく。

専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の

さふらふらんこと、もてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人も

もたずさふらふ。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏を

まうさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、ひとへに弥陀の

御もよほしにあづかて念仏まうしさふらふひとを、わが弟子と

まうすこと、きはめたる荒涼のことなり。

                            (同50頁)

要するに、専修念仏を志す人が、自分の弟子だ人の弟子だと拘るなということ。

自分の力でその人が念仏をするようになったのなら話は別だけれども、

それも全て阿弥陀如来の力なんだからぎゃあぎゃあ言うなと。

自分には弟子はいないと言い切られると、弟子の側は複雑な心境になりそうだけど、

とりあえず、現代に「浄土真宗」という宗派が浄土宗と別にできていることを

親鸞はどう感じているのか気になるところであります。

色々くだらないことを考える暇があったら往生を信じて念仏しなさいと

ただ怒られる気もしますが。

 

ちなみに今回は積読本の中からとったので岩波文庫で読んだけれど、

角川ソフィア文庫の方が現代語訳がついていて読みやすいと思う。

親鸞の書に『教行信証』とかがあるそうですが、そこまで手を伸ばす余力が

今のところなさそうなのでまた気が向いたら読むかどうか考えよう。

歎異抄 (岩波文庫 青318-2)

歎異抄 (岩波文庫 青318-2)

 

 

 

新版 歎異抄―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

新版 歎異抄―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

 

*1:あくまで『歎異抄』作者の考える真説であって、親鸞の教えそのものかは別問題。

お盆の帰省と遺影について

ようやく帰省の疲れもとれてきたのでブログを書くことにした。

今年は祖父の初盆のため、久しぶりにお盆シーズンの帰省となった。

実家で長く過ごしたせいか、こちらに戻ってきた時、

「思えば遠くへ来たもんだ*1」が頭で流れるくらいには疲れていた。

本当に、なんでこんな遠くで暮らすことになったのか。

閑話休題

 

13日はお経をあげに御院家さん*2が来るので、12日に墓参りに行って掃除等をした。

日当たりの良い場所に墓はあるため花も暑さで三日ともたない。

墓石も熱せられていて、真夏の墓掃除はなかなかの重労働に思える。

襲い掛かる蚊も寺の敷地内だし殺生はいかんかと耐えた。

こんな暑いところにいないで涼しいところで過ごそうと祖父を迎えに行ったが、

この暑さでは迎えるまでもなく帰ってきていたかもしれない。

 

仏間にはお供えが所狭しと置かれていて、本人不在が不思議に思えてきた。

甘いものが好きだったけど、好物の落雁もお菓子ももう食べられないのかと。

お盆だから魂は帰ってきているといっても姿が見えないのだからしょうがない。

デイサービスに行っていていないんじゃないんだよなと改めて思った。

ふと見ると仏壇の側には遺影とは別に祖父の写真が飾られていた。

通っていたデイサービスの施設で撮ったもので、職員さんが持ってきてくれたらしい。

はにかんだ表情のものだ。見ると、ああこれが祖父の笑顔だと思って涙が出てくる。

祖父の遺影は結婚式の記念写真からとったもので少し硬い表情をしている。

叔母などは、スナップ写真の方を見て、こっちの方がおじいちゃんらしいと言うが、

遺影の写真がもしこの笑顔だったら、目にするたびに泣いてしまう気がした。

笑顔の写真は、生きてその顔を二度とみられないことを思い知らされる。

去年はこの笑顔で迎えてくれたよななんて思ったら、抑えられていた別離の悲しみが

またこみ上げてきて平静を装っていられなくなる。なにせまだ半年だっていないのだ。

だから遺影は少し硬いくらいの表情でいい。

ちょっとよそよそしく距離があったほうが、見ているこちらも距離が取れる。

 

 

 

*1:武田鉄矢の曲の一節。一応断っておくがリアルタイムの世代ではない。

*2:うちでは浄土真宗の僧侶をこう呼ぶ

読書記録『げんきな日本論』

(以下、内容には踏み込んでいないので、詳しい内容を知りたい方、

精緻な分析を求めている方は他をあたって下さい)

 

橋爪大三郎大澤真幸の対談本。

この本は先ず帯を外すことからお勧めします。

「日本ってこんなにおもしろい!」は、百歩譲って好意的に考えて、

日本について思いを巡らしたこともない人へ向けて書いていると思えばまあ許せる。

でも裏の「なぜ日本人は、かくも独自の文化を生み出せたのか?」は無理。

なんとも今流行りの薄っぺらい日本礼賛本の類についていそうな言葉だ。

「はじめに」で橋爪は、日本人の日本に対する自己評価が二十一世紀になるとV字回復するのを

 

僕は、これは、むしろ極端に自信を喪失していることの裏返し表現と見ています。考えてみると、ほんとうに自信がある人は意外と謙虚です。逆に、自信が極端になくて不安なとき、人は過度に自信がありそうなそぶりをみせたり、からいばりしたりする。二十一世紀になってからの日本人は、まさにこれ。

 

と言っているのに、「こんなに」とか「かくも」とか着けてしまうセンスを疑う。

そんな根拠のない過度の自信から脱却するためにあるのが本書じゃないの?と。

以上、帯への悪口でした。

橋爪大三郎が提示した18の疑問を大澤真幸と考えていくという対談で、

その疑問に明確な答えが出されていくというわけではなく、

「なぜ?」をあぶりだしてくる感じでしょうか。

日本の歴史をテーマにしているので、日本史を専門とする人から見たら、

突っ込みどころもあるでしょうが、とりあえずぐっとこらえて読みましょう。

社会学者が二人して日本の歴史ってなんでこうなんだろうねと捏ね繰り回して、

こういう姿ができたんですけどどうでしょうという提起をする本だと思って。

そう思って読むと、これはこれで面白く読めます。

橋爪と大澤から見ると日本の歴史はこんなふうに見えるんだといったくらいに。

歴史学専門の人が一人加わって、最新の研究とかを補いながらの鼎談だったら・・・

と欲を言えばきりがないんだけど、この二人の対談というのが売りだろうし仕方ない。

あくまで社会学者が考える日本論なので、歴史学的に引っかかっても、

居酒屋でおじさんが楽しそうに語り合っているなあという優しい見守りの目で読み、

各論の検証を個々人で行って議論を深めていけばいいんじゃないかと。

書名は『げんきなふたりの日本論』の方があっているかもしれない。

 

 

 

短期入院でも本は持っていくべき

(以下は全て自分の場合の話です。)

 

手術予定日前日に入院し、術後一泊で帰ったので二泊三日の入院だった。

こんな短い入院でも暇を持て余すので、本を持っていくことを推奨する。

(面会時間に家族が来て話し相手がいるなら話は別だけど)

カードを購入すればTVも見られるが、面白い番組があるわけでもないし、

術前検査や各種説明・検温だなんだで中断を余儀なくされることもあるから、

途中でやめても差し支えない暇つぶしの方がいい。

特に自分の場合は耳の手術だったので、肝心のイヤホンが使えない。

そうすると本を読むくらいしかすることがない。あとは数独とか。

今回は一度読んだことのある小説を持って行ったのだけれど、

結果としてこれが良かった。というのは、術前の絶食と関係している。

手術当日は朝から絶食、水も8時までしか飲めなかった。

自分の場合、手術は午後だったので、朝昼と抜いて水分もとれない。

これが結構辛くて集中力が低下した。数独はあまり進まない。

そんな頭でも既読の本だったら記憶で補ってなんとか読めるものだ。

続きもそれなりにわかっているので、いざ手術室へ呼ばれて中断しても気が楽だ。

術後は麻酔がきいていてぼんやりしているから、暇つぶしも必要ない。

翌日、傷の様子を見てもらい退院許可が下りるまでに時間がかかったが、

それまでの間ひたすら本を読んで過ごした。

入院時の持ち物一覧に書いてあったけど使わなかったものもあるなか、

自分にとっては本が一番持ってきておいて良かったものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生初手術を終えて

初手術と言っても大病を患ったわけではなく、

耳瘻管というのを摘出する手術を受けただけ。

感覚としては親知らずを抜くようなものと言ったらいいだろうか。

2か月前に耳の痛みを覚え、耳鼻科の門をくぐったら、

先天性耳瘻孔というものがあることを告げられた。

(詳しくは「先天性耳瘻孔」で検索を)

胎児の時に耳が形成される段階で、閉じきれずに残った針孔のようなもので、

100人に一人か、もっと多いくらいの割合でできるそうだ。

今回は運悪くそこに菌が入り込み炎症を起こしたということらしい。

ほとんどは局所麻酔で日帰り手術が可能だそうだが、

これまた運悪く自分の場合は全身麻酔が必要な事例だったため、

二泊三日の入院と相成った。

実際の手術は、麻酔の点滴が始まってものの数秒で眠ったので、

あっという間に終わったかのように思えたし、

痛み止めも良く効いたのか術後の痛みもあまりなかった。

ただ、採血でさえ恐怖を感じる小心者の自分にとっては、

麻酔も含め術後の点滴も気持ちのいいものではなくて、

手術なんて二度とごめんだと思った次第。

それに病室にいると亡くなった祖父のことを思い出してしまい、

精神的にもあまりよろしくないなと思ったので、

許可が下りたら早々に退院させてもらった。

 

ちなみに今回炎症を起こすまで自分に耳瘻孔があるなんて知らなかった。

(炎症を起こしさえしなければ、一生気づかないままに人もいるらしい。)

とりあえず母親に話をしてみたら、母親も全く知らず驚いていた。

胎児の時に~という説明をしたら、自分のせいだろうかと気に病み始めたので、

余計なこと言わなければ良かったと、申し訳ない気持ちになったという。

 

 

 

 

早くも百箇日

気が付けば1か月もブログを更新していなかった。

その間に祖父の百箇日を迎え納骨も済んだ。

遠方に住む自分は立ち会えなかったけど、

話によるとその日も雨が降ったらしい。

そういえば祖父は雨男だった。

今でも折にふれ祖父のことは思い出す。

その度にやはり切ない気持ちになるのだが、

前よりは落ち着いてきた気がする。

ただ、大切なものを失う辛さを覚えたので、

それが繰り返されることの恐怖も感じるようになった。

前にも書いたが、自分を取り巻く世界は永遠に変わらないと

お釈迦様にため息をつかれるような考えでいた自分にとって

祖父の死は考えの甘さを思い知る機会となった。

四六時中、死のことを考えるようなことはなくなったが、

ブログを書くと嫌でも自分の気持ちに向き合うことになる。

無意識に書かないようにしていたのかもしれないなと、

更新が止まっていたことについて言い訳してみた。