読書記録『げんきな日本論』

(以下、内容には踏み込んでいないので、詳しい内容を知りたい方、

精緻な分析を求めている方は他をあたって下さい)

 

橋爪大三郎大澤真幸の対談本。

この本は先ず帯を外すことからお勧めします。

「日本ってこんなにおもしろい!」は、百歩譲って好意的に考えて、

日本について思いを巡らしたこともない人へ向けて書いていると思えばまあ許せる。

でも裏の「なぜ日本人は、かくも独自の文化を生み出せたのか?」は無理。

なんとも今流行りの薄っぺらい日本礼賛本の類についていそうな言葉だ。

「はじめに」で橋爪は、日本人の日本に対する自己評価が二十一世紀になるとV字回復するのを

 

僕は、これは、むしろ極端に自信を喪失していることの裏返し表現と見ています。考えてみると、ほんとうに自信がある人は意外と謙虚です。逆に、自信が極端になくて不安なとき、人は過度に自信がありそうなそぶりをみせたり、からいばりしたりする。二十一世紀になってからの日本人は、まさにこれ。

 

と言っているのに、「こんなに」とか「かくも」とか着けてしまうセンスを疑う。

そんな根拠のない過度の自信から脱却するためにあるのが本書じゃないの?と。

以上、帯への悪口でした。

橋爪大三郎が提示した18の疑問を大澤真幸と考えていくという対談で、

その疑問に明確な答えが出されていくというわけではなく、

「なぜ?」をあぶりだしてくる感じでしょうか。

日本の歴史をテーマにしているので、日本史を専門とする人から見たら、

突っ込みどころもあるでしょうが、とりあえずぐっとこらえて読みましょう。

社会学者が二人して日本の歴史ってなんでこうなんだろうねと捏ね繰り回して、

こういう姿ができたんですけどどうでしょうという提起をする本だと思って。

そう思って読むと、これはこれで面白く読めます。

橋爪と大澤から見ると日本の歴史はこんなふうに見えるんだといったくらいに。

歴史学専門の人が一人加わって、最新の研究とかを補いながらの鼎談だったら・・・

と欲を言えばきりがないんだけど、この二人の対談というのが売りだろうし仕方ない。

あくまで社会学者が考える日本論なので、歴史学的に引っかかっても、

居酒屋でおじさんが楽しそうに語り合っているなあという優しい見守りの目で読み、

各論の検証を個々人で行って議論を深めていけばいいんじゃないかと。

書名は『げんきなふたりの日本論』の方があっているかもしれない。

 

 

 

短期入院でも本は持っていくべき

(以下は全て自分の場合の話です。)

 

手術予定日前日に入院し、術後一泊で帰ったので二泊三日の入院だった。

こんな短い入院でも暇を持て余すので、本を持っていくことを推奨する。

(面会時間に家族が来て話し相手がいるなら話は別だけど)

カードを購入すればTVも見られるが、面白い番組があるわけでもないし、

術前検査や各種説明・検温だなんだで中断を余儀なくされることもあるから、

途中でやめても差し支えない暇つぶしの方がいい。

特に自分の場合は耳の手術だったので、肝心のイヤホンが使えない。

そうすると本を読むくらいしかすることがない。あとは数独とか。

今回は一度読んだことのある小説を持って行ったのだけれど、

結果としてこれが良かった。というのは、術前の絶食と関係している。

手術当日は朝から絶食、水も8時までしか飲めなかった。

自分の場合、手術は午後だったので、朝昼と抜いて水分もとれない。

これが結構辛くて集中力が低下した。数独はあまり進まない。

そんな頭でも既読の本だったら記憶で補ってなんとか読めるものだ。

続きもそれなりにわかっているので、いざ手術室へ呼ばれて中断しても気が楽だ。

術後は麻酔がきいていてぼんやりしているから、暇つぶしも必要ない。

翌日、傷の様子を見てもらい退院許可が下りるまでに時間がかかったが、

それまでの間ひたすら本を読んで過ごした。

入院時の持ち物一覧に書いてあったけど使わなかったものもあるなか、

自分にとっては本が一番持ってきておいて良かったものとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生初手術を終えて

初手術と言っても大病を患ったわけではなく、

耳瘻管というのを摘出する手術を受けただけ。

感覚としては親知らずを抜くようなものと言ったらいいだろうか。

2か月前に耳の痛みを覚え、耳鼻科の門をくぐったら、

先天性耳瘻孔というものがあることを告げられた。

(詳しくは「先天性耳瘻孔」で検索を)

胎児の時に耳が形成される段階で、閉じきれずに残った針孔のようなもので、

100人に一人か、もっと多いくらいの割合でできるそうだ。

今回は運悪くそこに菌が入り込み炎症を起こしたということらしい。

ほとんどは局所麻酔で日帰り手術が可能だそうだが、

これまた運悪く自分の場合は全身麻酔が必要な事例だったため、

二泊三日の入院と相成った。

実際の手術は、麻酔の点滴が始まってものの数秒で眠ったので、

あっという間に終わったかのように思えたし、

痛み止めも良く効いたのか術後の痛みもあまりなかった。

ただ、採血でさえ恐怖を感じる小心者の自分にとっては、

麻酔も含め術後の点滴も気持ちのいいものではなくて、

手術なんて二度とごめんだと思った次第。

それに病室にいると亡くなった祖父のことを思い出してしまい、

精神的にもあまりよろしくないなと思ったので、

許可が下りたら早々に退院させてもらった。

 

ちなみに今回炎症を起こすまで自分に耳瘻孔があるなんて知らなかった。

(炎症を起こしさえしなければ、一生気づかないままに人もいるらしい。)

とりあえず母親に話をしてみたら、母親も全く知らず驚いていた。

胎児の時に~という説明をしたら、自分のせいだろうかと気に病み始めたので、

余計なこと言わなければ良かったと、申し訳ない気持ちになったという。

 

 

 

 

早くも百箇日

気が付けば1か月もブログを更新していなかった。

その間に祖父の百箇日を迎え納骨も済んだ。

遠方に住む自分は立ち会えなかったけど、

話によるとその日も雨が降ったらしい。

そういえば祖父は雨男だった。

今でも折にふれ祖父のことは思い出す。

その度にやはり切ない気持ちになるのだが、

前よりは落ち着いてきた気がする。

ただ、大切なものを失う辛さを覚えたので、

それが繰り返されることの恐怖も感じるようになった。

前にも書いたが、自分を取り巻く世界は永遠に変わらないと

お釈迦様にため息をつかれるような考えでいた自分にとって

祖父の死は考えの甘さを思い知る機会となった。

四六時中、死のことを考えるようなことはなくなったが、

ブログを書くと嫌でも自分の気持ちに向き合うことになる。

無意識に書かないようにしていたのかもしれないなと、

更新が止まっていたことについて言い訳してみた。

 

 

 

 

死別の悲しみで心が壊れないように

心の整理の一環として思いついたまま書くことにした。

所謂"mourning work"

 

人には、心が壊れてしまわないようにしようとする防衛機能が備わっている。

だから、死別の悲しみも辛くはあるが乗り越えられるものだ。

ただ、自分は過去にうつ病になったこともあるので、

気を付けようと思っているだけの話。

 

病気で入院していたりして、ある程度は死期を予測できていたとしたら、

多分、家族としても心の準備ができていたんじゃないかと思う。

祖父の場合、男性の平均寿命は超えていたので、考えようによっては

よく言う「いつお迎えが来てもおかしくない」域には達していた。

でも、認知症にはなっていたけど、内臓はどこも悪くなく元気にしていたから、

希望も含めて、なんとなく百歳まで生きるんじゃないかななんて思っていた。

だからこそ、その死は突然のものに感じられてショックが大きかった。

 

祖父が亡くなった後、悲しみに浸る時間があればよかったのかもしれない。

だが、悲しんでいる間にも為さねばならないことは山ほどある。

葬儀社との打ち合わせ、親戚への連絡、等々しっかりと頭を働かせていないとできない。

田舎のことで、家族葬といっても理解してもらえず、対応にも追われた。

家族葬は祖父の以前からの意向だったけど、親戚の理解が不十分だったので)

自分の場合、ここで一度悲しみを切り離すスイッチが入ってしまったようだ。

悲しむ心が消えてしまったわけではない。

「悲しんでいる暇はない」「いつまでも悲しんでいてはいけない」と

早い段階で悲しみを抑えつけてしまったのだ。

葬儀の後も実家にいたなら、ほかの家族と悲しみを共にできただろう。

けれど、離れて暮らす自分は、葬儀を終えたとたんに日常に戻らなくてはならず、

悲しみの共有をすることができなかった。

(そういう意味で四十九日までの七日ごとの法要には意味がある)

 

自分がいかにショックを受け、いかに悲しいかを語り、

それを共感を持って受け入れてもらうことは大きい。

でも、それを家族以外の人間に望むのは難しい。

できれば、家族で集って語らうのがいい。

そうして一年くらいかけて受け入れていくのだ。

 

「いつまでも悲しんでいてはいけないよ」という言葉を予期して、

先回りするように悲しんでいない風にしようとしたのも悪かった。

それが今の躁状態に繋がったのだろう。

 

とにかく、気持ちを抑え込まないこと。

死を受け入れるまでに一年はかかると思うこと。

(現に、家族が亡くなったら一年は喪中というだろう)

 

自分の場合は、ブログに吐き出すことで心の整理としたい。

 

 

 

時が死を受け入れるまでに注意すること

悲しみは時が癒してくれるとよく言うけれど、

その「時」がどれだけかかるかはわからない。

その間に注意すべきことは自分の精神状態だ。

 

自分の場合はどうかというと、要注意状態にある。

薄々感づいていたことだったが、周りの人間に言われてはっきりと自覚した。

喪のプロセスをきちんと辿らないと、病気になりかねない状態なのだと。

 

当の本人は、ここしばらく、とても好調だと思っていた。

意欲的というか、エネルギッシュというか、疲れ知らずというか、

とにかく次々と仕事を片付けることができて問題ないと。

でも、周りから見ればそれは不自然にハイテンションで

頑張りすぎているとしか言えないような状態だった。

このままだと反動で動けなくなるから、その前にセーブしろ。

というのが共通の見解で、医者にも同じことを言われた。

 

最初は、何言ってるの?と反発すら覚えたけれど、

祖父が亡くなる前の状態と今の状態とを比べてみると、

確かに異常に働きすぎていることがわかってきた。

多分、祖父のことを考えまいとして、過剰に動いていたのだ。

夜に寝付けなかったり、途中で目覚めたり、目覚ましより早く起きたり、

睡眠に変化が出ていたことも、思い当たる節の一つでもあった。

 

今の状態がそのまま病気というわけではない。

ただ、今の状態が続くようであれば危ないと。

 

死を受け入れるにはいくつかの段階を必要とする。

嘆き悲しむことも、時には自分を責めることも、

ショックから立ち直るために必要なことなのだ。

無理矢理気持ちを押し込めるのではなく、

自然と悲しみより前向きな持ちが強くなるまで、

自分の気持ちに向き合いながら生活することが大事だ。

 

そんなことを考えて久しぶりにブログを書くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連休の終わりと忌明け

この連休に祖父の四十九日の法要を終え、忌明けということになった。

だからといって、気持ちも新たにとなるわけではない。

今朝がたの夢に祖父が出てきたような気がしたのだけれど、

四十九日に行けなかった自分に会いに来てくれたのだろうか。

もともと今年の5月の連休は実家に帰る予定だった。

祖父が母に自分の帰省はいつかと尋ねたのは2月の終わり。

5月には会えるのかと楽しみにしていたそうだけれど、

間もなくして祖父は突然亡くなった。

そして迎えた連休。

今頃は一緒に過ごしていたはずなのになとか、

こんなことなら無理してでも正月に帰っておけばよかったとか、

好きだった甘いものをもっと買って帰ればよかったとか、

今更何をしても遅いのに、浮かんでくるのは後悔ばかり。

日常に馴染んできているつもりでも、この気持ちに変わりはない。

生きているうちにしておけばよかったことを挙げていっても虚しい。

どんなに嘆き悲しんでも死んだ人間は生き返らない。

回向という考えは残されたものの為の教えだなと改めて思う。

死者の安らかな成仏を願うようでいて自らを救っているのだ。

連休の最終日に一人霊園を歩きながらこんなことばかり考えていた。

明日からまた日常に戻ろう。