死別の悲しみで心が壊れないように

心の整理の一環として思いついたまま書くことにした。

所謂"mourning work"

 

人には、心が壊れてしまわないようにしようとする防衛機能が備わっている。

だから、死別の悲しみも辛くはあるが乗り越えられるものだ。

ただ、自分は過去にうつ病になったこともあるので、

気を付けようと思っているだけの話。

 

病気で入院していたりして、ある程度は死期を予測できていたとしたら、

多分、家族としても心の準備ができていたんじゃないかと思う。

祖父の場合、男性の平均寿命は超えていたので、考えようによっては

よく言う「いつお迎えが来てもおかしくない」域には達していた。

でも、認知症にはなっていたけど、内臓はどこも悪くなく元気にしていたから、

希望も含めて、なんとなく百歳まで生きるんじゃないかななんて思っていた。

だからこそ、その死は突然のものに感じられてショックが大きかった。

 

祖父が亡くなった後、悲しみに浸る時間があればよかったのかもしれない。

だが、悲しんでいる間にも為さねばならないことは山ほどある。

葬儀社との打ち合わせ、親戚への連絡、等々しっかりと頭を働かせていないとできない。

田舎のことで、家族葬といっても理解してもらえず、対応にも追われた。

家族葬は祖父の以前からの意向だったけど、親戚の理解が不十分だったので)

自分の場合、ここで一度悲しみを切り離すスイッチが入ってしまったようだ。

悲しむ心が消えてしまったわけではない。

「悲しんでいる暇はない」「いつまでも悲しんでいてはいけない」と

早い段階で悲しみを抑えつけてしまったのだ。

葬儀の後も実家にいたなら、ほかの家族と悲しみを共にできただろう。

けれど、離れて暮らす自分は、葬儀を終えたとたんに日常に戻らなくてはならず、

悲しみの共有をすることができなかった。

(そういう意味で四十九日までの七日ごとの法要には意味がある)

 

自分がいかにショックを受け、いかに悲しいかを語り、

それを共感を持って受け入れてもらうことは大きい。

でも、それを家族以外の人間に望むのは難しい。

できれば、家族で集って語らうのがいい。

そうして一年くらいかけて受け入れていくのだ。

 

「いつまでも悲しんでいてはいけないよ」という言葉を予期して、

先回りするように悲しんでいない風にしようとしたのも悪かった。

それが今の躁状態に繋がったのだろう。

 

とにかく、気持ちを抑え込まないこと。

死を受け入れるまでに一年はかかると思うこと。

(現に、家族が亡くなったら一年は喪中というだろう)

 

自分の場合は、ブログに吐き出すことで心の整理としたい。

 

 

 

時が死を受け入れるまでに注意すること

悲しみは時が癒してくれるとよく言うけれど、

その「時」がどれだけかかるかはわからない。

その間に注意すべきことは自分の精神状態だ。

 

自分の場合はどうかというと、要注意状態にある。

薄々感づいていたことだったが、周りの人間に言われてはっきりと自覚した。

喪のプロセスをきちんと辿らないと、病気になりかねない状態なのだと。

 

当の本人は、ここしばらく、とても好調だと思っていた。

意欲的というか、エネルギッシュというか、疲れ知らずというか、

とにかく次々と仕事を片付けることができて問題ないと。

でも、周りから見ればそれは不自然にハイテンションで

頑張りすぎているとしか言えないような状態だった。

このままだと反動で動けなくなるから、その前にセーブしろ。

というのが共通の見解で、医者にも同じことを言われた。

 

最初は、何言ってるの?と反発すら覚えたけれど、

祖父が亡くなる前の状態と今の状態とを比べてみると、

確かに異常に働きすぎていることがわかってきた。

多分、祖父のことを考えまいとして、過剰に動いていたのだ。

夜に寝付けなかったり、途中で目覚めたり、目覚ましより早く起きたり、

睡眠に変化が出ていたことも、思い当たる節の一つでもあった。

 

今の状態がそのまま病気というわけではない。

ただ、今の状態が続くようであれば危ないと。

 

死を受け入れるにはいくつかの段階を必要とする。

嘆き悲しむことも、時には自分を責めることも、

ショックから立ち直るために必要なことなのだ。

無理矢理気持ちを押し込めるのではなく、

自然と悲しみより前向きな持ちが強くなるまで、

自分の気持ちに向き合いながら生活することが大事だ。

 

そんなことを考えて久しぶりにブログを書くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連休の終わりと忌明け

この連休に祖父の四十九日の法要を終え、忌明けということになった。

だからといって、気持ちも新たにとなるわけではない。

今朝がたの夢に祖父が出てきたような気がしたのだけれど、

四十九日に行けなかった自分に会いに来てくれたのだろうか。

もともと今年の5月の連休は実家に帰る予定だった。

祖父が母に自分の帰省はいつかと尋ねたのは2月の終わり。

5月には会えるのかと楽しみにしていたそうだけれど、

間もなくして祖父は突然亡くなった。

そして迎えた連休。

今頃は一緒に過ごしていたはずなのになとか、

こんなことなら無理してでも正月に帰っておけばよかったとか、

好きだった甘いものをもっと買って帰ればよかったとか、

今更何をしても遅いのに、浮かんでくるのは後悔ばかり。

日常に馴染んできているつもりでも、この気持ちに変わりはない。

生きているうちにしておけばよかったことを挙げていっても虚しい。

どんなに嘆き悲しんでも死んだ人間は生き返らない。

回向という考えは残されたものの為の教えだなと改めて思う。

死者の安らかな成仏を願うようでいて自らを救っているのだ。

連休の最終日に一人霊園を歩きながらこんなことばかり考えていた。

明日からまた日常に戻ろう。

 

 

 

 

 

父母いませば遠く遊ばずとは言うものの

子曰、父母在、子不遠遊、遊必有方 (『論語』巻第二 里仁第四) 

 

両親が健在なうちには遠方に旅をしないようにして、

旅に出るとしても行き先を確かなものにしておくべきだ

とでも訳せばいいだろうか。

遊=遊学ととれば、親元を離れた大学に進学し、

そのまま地元に戻らなかった自分などは、

この教えに反した親不孝者ということになるだろう。

(まあ、居場所は確かにしているから「必有方」は果たしている)

しかし、人として成長する過程で親に何かしらの反発を抱き、

勧められた進路から外れるというのはよくある話で、

自分もそういう人間の一人だったまでだ。

後悔などしていないつもりだが、ふと冒頭の言葉を思い出したのは、

両親に対してというより、亡くなった祖父に対する後ろめたさだろう。

大学四年間の課程を終えさえすれば地元に戻ると信じていたのに、

その願いを裏切ってしまったのは他でもない自分だ。

直接何か言われたことはないが、失望させてしまったのは間違いない。

年に数日の帰省と、申し訳程度の手土産では贖えなかったと思う。

生きているうちにもっとできることがあったはずだと考えるのは、

大切な人を亡くしたものなら考えてしまうことだろう。

もう忌明けも近いというのにぐるぐると考えてしまう。

 

同じく里仁第四には次のような言葉もある。

 

子曰、父母之年、不可不知也、一則以喜、一則以懼

 

両親の年は知っておかなければならない、一つにはそれをもって喜び、

一つにはそれをもって心配するのだ。

とでも訳そうか。

生きているということを喜び、かつその老い先を案じる心持。

これもまた父母のことだけど、祖父母にも言えることだと思う。

 

論語 (岩波文庫 青202-1)

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鑑賞記録:小津安二郎「麦秋」

28歳の女性の結婚話を軸に、ある家族の姿を描いた作品。

以下、だらだらと書くだけなので精緻な映画評を求めている方はお帰りください。

 

今日日、28歳で会社勤めで独身の女性など珍しくないけれど、

1951年当時の価値観の下では「売れ残り」と揶揄される対象です。

親も兄も我が家の最大の懸案事項みたいな感じで心配しているし。

今なら職場の上司が部下の女性に「売れ残り」なんて言えないでしょうが、

ともあれ、「売れ残り」とか言いつつ上司も心配してか縁談を持ってきます。

この縁談を良さそうな話じゃないかと家族も最初は喜ぶのですが、

途中で相手の年齢が42とわかって母親と義姉は戸惑いを見せます。

兄も贅沢は言えないというのですが、とにかく家族の心境は複雑です。

当の本人はというと、戦死した兄の友人だった男性との結婚を突然決めます。

しかし、これもまた家族を複雑な気持ちにさせるのです。

というのも、その男性には死別した妻との間の子供がいるということで、

28歳とはいえ初婚なのだから、何も子持ちの男性に嫁がなくてもというわけです。

まあ、義理の子供がいると先で苦労するんじゃないかという心配からですが。

しかも、男性は秋田への赴任が決まっていて、それもまた気がかりと。

なかなか家族から見て申し分のない相手というのはいないものですね。

 

後に本人が言うには、42歳まで独身でぷらぷらしていた男よりも、

子供がいる男性の方がむしろ信頼できるということですが、

恐らくは、戦死した兄の友人だったというのが大きいのだと思います。

面白いのは、この結婚は男性との間ではなく、

男性の母親との間で決めてしまったところでしょうか。

「あなたみたいな人にお嫁さんに来てほしかった」と言われて

「私でよければ」と応えて話が進んで、男性は事後承諾みたいな。

本人同士で恋愛感情が盛り上がって結婚を決めたわけではないのです。

後に友人から「恋ね」と冷やかされた時にも、女性は「恋」ではないと否定します。

戦死した兄の友人ということで、兄を通じての付き合いはあったわけですから、

その時点でお互いに好意はあったかもしれませんが、そこは括弧にとじられています。

 

また、女性の結婚が決まったところで、家族は大きく変わることになります。

これまでは、両親・長男家族・独身の娘の7人という大所帯でしたが、

娘は前述のように結婚して秋田へ行くことになりますし、長男は独立し、

両親は隠居して生まれ故郷に戻ることにし、家族は離れ離れになるのです。

娘の結婚というめでたいはずの出来事が、実はこれまでの家族の形を

崩す引き金になるというのは切ないものです。

お互いが別々に暮らすことについて語るとき、結婚を決めた女性が

こらえきれずに泣き出すシーンがあるのですが、

彼女は結婚しないことで、家族を一つにしている自覚があったのかもしれません。

父親が、戦死した息子の死を受け入れられないでいるように、

この家族は、どこかで変わらないことを願っていたのではないでしょうか。

 

それにしても、結婚が決まった後の友人との会話で「秋田なんかに行くの?」

みたいな感じのところは秋田県の人はどう感じるんでしょう。

秋田に行ったらもんぺをはくのよ?とか秋田の言葉なんかしゃべれるの?とか、

軽い秋田disが入ります。

まあ、東京の人間からしてみたら東京以外のところは皆僻地扱いでしょうから、

今回はたまたま秋田だっただけでしょうが。

 

ともかく、今日日云々と書きましたが、この結婚を巡る家族の話は

今でも興味深いと思います。

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夢に死んだ人が出てきたら

それは無事に成仏したということだと小さいころ祖母に教わった。

四十九日を迎えていないけど、例えば浄土真宗では

亡くなったときに即座に阿弥陀如来が救って下さると教えているらしいし、

これらの考えに従えば、祖父も無事に成仏できたということになるのか。

夢の中で祖父は、何か確かめたいことがあったらしくて

自分が答えるとそうかと言って自分の部屋に戻っていった。

質問の内容までは覚えていないけれど本人が納得したのならいいか。

夢の中でのように、本当に会って話したいけれどそれは無理な話で、

納棺の時に冷たさも感じたし、お骨も拾ったというのに、

いまだに死んだことこそが夢じゃないかと思ってしまう自分には、

ともかく、夢に出てきたということは成仏したんだなと思うと

いくぶん気持ちも穏やかになるというものだ。

きっとこう考えることで昔の人も悲しみを癒していたのだろう。

 

 

 

 

 

 

死んだときにしてほしいことを考えておく

争いが起きるような財産もなく、そもそも残すべき子供もいないから、

遺産相続に関わる遺言状というほどのものは書く必要はないのだけれど、

とりあえず、死んだときこうしてほしいということは残しておきたい。

そのための準備として思いついた順にメモ。

  1. 死んだことを伝えてほしい人のリストを作っておく(アドレス帳を一冊用意)
  2. 葬式は特にしなくていいけど、遺影にする写真を考えておく
  3. 古本募金に出す本と、譲る本、捨てる本を分類しておく(おおまかで可。譲る本は相手をアドレス帳にメモするか)
  4. CDは好きに分けて、あとは売ってもよし
  5. 服とか身に着けるものは全部処分

いざ書いてみると、あまり思いつかない。基本的に物は処分してもらえばいいや。

銀行とか電気ガス水道住居の手続きとかは書き残さなくても対処してくれるだろうし。

問題はネット上のアカウント。はてな上で交流のあった人とかにも知らせるのかとか。

SNSのアカウントをいちいち削除することまで頼んでいいものか、これは悩みどころ。

まあ、余裕があったらお願いしよう。

この無益なブログも消す方向で。