鑑賞記録:『岸辺の旅』

ネタバレしていますので未見の方はご注意を。

観ている間も見終えてからも
落ち着かなさを覚える作品だった。
その原因は何か答えが出ないまま
この記事を書いている。
脚本への難だったり音楽への難だったり
自分の感性と合わない部分への違和感もある。
作品世界に無理にでも求めるならば
生者と死者の境目、あの世とこの世の境目の
曖昧さが生み出す不安定さかもしれない。

ピアノの指導法を疑問視された主人公
家に帰り白玉粉で団子を作り始めると
三年間行方不明だった夫が姿を表す。
この夫、自分が死者であることをあっさり告げる。
主人公もそれをあっさり受け入れる。
この辺りで意外な展開に驚いた。
夫が実は死者だったと最後にわかる展開を
どこかで予想していたので早速裏切られたのだ。

ここで、主人公は夫の死を知っているが
受け入れられていない体で観ることにした。
そう考えれば、主人公が作った団子は
お供え物のようでもあるし
それを夫が食べるというのも頷ける。

一緒に旅に出ることにした二人は
夫が世話になった人達に会う。
まず出会った人物も実は死者であることが
あっさり告げられる。
後に彼の消滅とともに彼の家が廃墟になることで
それが裏付けられる。
ここでは、死者の世界と生者の世界が
重なり合っている。
そう了解して映画を観ると、世界のどこまでが
本当の世界で、どこからが死者の世界なのか
全く区別がつかない不確定さに不安を感じる。
夫が「あの人達は普通の人間」と言う言葉しか
判断において頼るものがなくなってしまう。
そもそも夫も妻にだけ見えるのではなく
他の人達にも見えているのも不思議だ。
これは妻の夢なのではないか。
実際、彼女が目覚めると自分の家にいるという
シーンが何度か挿入される。
そうなると今度は夢と現実との境界も曖昧になる。
ここは素直に夢と思って観た方が素直に観れる。

唯一生々しい現実として現れるのが
夫の浮気相手の女性と対峙するシーンだ。
夫は自分のもとに帰って来た
(もう夫は死んでいるにもかかわらず)
私こそ勝者であるとでも言うかのように
浮気相手に去勢を張る主人公に対し
浮気相手だった女性は
自分も結婚しているし子供も生まれる
平凡な幸せを手に入れるのだと返す。
主人公の中で大きな存在だった浮気相手だが
むこうにとって彼女は取るに足らない存在
とでもいうような余裕の態度である。
自分の中の拘りが瓦解したのか
主人公は再び白玉団子を作り
夫との旅を再開する。
向き合うべきは夫なのである。

終盤、ある農村で過ごす2人だが
ここで2人の写し鏡のような夫婦が登場する。
夫が死んだことを知る女性。
その夫は主人公の夫とは対照的に、
死を受け入れられず彷徨い自分を見失い、
妻をも死の世界に引き込もうとしている。
自分は死にたくなかったと言い残し消滅する男。
この夫婦のように自分達にも別れの時が来る事を
主人公は思い知らされる。
現に夫は支えがないと歩けない程に弱っていく。
村を出て海辺にやって来た2人
(恐らくは夫が死んだ地)
ここでようやく夫は、自分が会いに来た目的
謝りたかったということを主人公に伝える。
一緒に帰ろうという願いは届かず
「また会おうね」と言うと夫は消える。
主人公が夫と別れるために必要だったもの
それがこの長い旅だったことがわかる。

3年の失踪と、その果の死を受け入れること。
生きているうちにぶつけられなかった思いの昇華。
その為に必要だった長い旅と2度目の別れ。
ラストはとても良かったと思う。

文句のつけどころとか、気に入らないシーンも
色々あるけれど、主演の2人に支えられて
なんとか見通すことができた。

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鑑賞記録:「あの頃ペニーレインと」

昔観た映画を時間が経ってから観ると
以前とは違った感想を持つことがある。
初めて観た時は、ただのちょっと切ない
ボーイミーツガールものと思っていた。
今回改めて観ると、この映画は誠実さ
honestであることを描いているように思えた。
全員がいいやつなのだ。

冗長になるけど最初から見ていこう。
映画の始まりは1969年のサンディエゴ。
主人公ウィリアムの母は大学教授。
家ではカツレツも大豆で作り、
バターも砂糖も白い小麦粉もベーコンも卵も駄目。
12月は商業的だからとクリスマスは9月に祝う。
サイモン&ガーファンクルももちろん駄目。
厳格な母であれば子供にも無理解だと思いきや、
この母親が意外と良い母親なのだ。
自分に反発していた娘が家を出ていくとき、
ヒステリックになって押さえつけたりしない。
18の旅立ちとハグして強がりつつ見送る。
話が前後するが、主人公が取材でコンサートに
行く時も車で送ったりもしている。
法律家の道を望んでいるなら止めそうなのに、
約束を守れば後は自由にさせてくれるようだ。
思春期の息子には、ちょっと過保護で恥ずかしい
だろうけど息子の事を信じて大事に思う母親。

主人公の姉も弟思い。
ベッドの下に隠していたロックのレコードの存在を
家を出るときに教えて、やがてそれがきっかけで
主人公はロックのライターの道に進む。
少しネタバレになるけど、
終盤に再登場するあたりでも
弟を助けてくれる良い姉。

次にCREEMの編集長。1973年15歳になった
主人公が出会う人物だが、彼も良い人。
記事を送ってくる主人公を
子供だからと馬鹿にせず書いた物で評価する。
その上で助言までしてくれ、取材記事も任せる。
彼の支持がなければ、主人公はそもそも
ペニーレインともスティルウォーターの面々とも
出会わないから重要人物。

ローリングストーンズ誌だって、
最初は15歳と知らず仕事を依頼して来たが
実際の彼と対面した時も書いた物で評価した。
(この辺りは紆余曲折あるから詳しくは本編で)

スティルウォーターの面々も憎めない。
記者である彼を敵と呼びつつ受け入れてくれる。
そして何よりペニーレイン。
映画の終盤に彼女がとった行動が素晴らしい。
(この辺りも是非映画で)

もちろん主人公が誰より誠実なんだけど、
その誠実さを誰も笑ったり馬鹿にしたりしない。
バンドエイドの女の子達も彼の事をちゃんと見ている。(からかったり童貞を奪ったりはするけど)

全てが優しく描かれているなというのが
改めての感想。
少年の真っ直ぐさ、それを損なわずに、
成長させてくれるものは何か。
honestであることの大事さを教えてくれた気がする

久々に夢に見る

最近、考えないようにしていたつもりなのだけれど
抑えつければ無意識に現れるものなのか
久しぶりに祖父が夢に出てきた。
倒れる前の少し元気な姿だった。
どうやら祖父は昔の仲間に会いに行くようで
自分もついていった。
坂の上まで自転車を押しながら上り、
自転車を置いて細い坂を下った。
行き着いた建物は病院か施設のような所で
実際に会ったのはまだ存命の祖父の兄達のような
気もしたがとにかく何か元気づけるような事を
言っていたような気がする。
祖父の笑顔が印象的だった。
家に帰ったら祖父はいつの間にか消えていて
そこで目が覚めた。

忘れようとしていたというか
考えないようにしていた冷たい孫なのに
どうしてまた夢に現れたのか。

祖父の兄達が病院に駆けつけた時、
祖父は既に人工呼吸器無しではいられず
何か伝えそうにしながらも会話ができなかった。
それを夢の中で果たしたのだろうか。
そうであったら良いのだけど
只自分の願望に過ぎないか。

もうすぐお盆で帰省の時期だ。
祖父は待ってくれているのかもしれない。

鑑賞記録:『伊豆の踊子』(吉永小百合・高橋英樹主演版)

原作と違って現代から始まるのに最初は戸惑った。
教えているのはどうやら哲学(カント?)らしい。
主人公の学生がやがて大学教授になったという設定のようだ。
交際中の女性との結婚を親に反対されている学生が、教授なら親も納得するだろうと仲人を頼んでくる。
相手の女性がダンサーだというのを聞いて、かつて伊豆でであった踊り子の記憶が鮮明によみがえる。

現代が白黒で、過去がカラーで描かれているのは、教授の心境の反映だろうか。あるいは単に、その記憶の鮮烈さを強調したものか。

とにかく吉永小百合演じる踊り子が可憐。
もう、この役を演じられる女優は今はいないんじゃないかと思うくらいだった。
お座敷で酔った客に覆いかぶさられたりもして、性の対象としても見られる踊り子だが、まだ幼さと無邪気さ残している事が、彼女の特別感となっている。
病になっても男に身を売ることを強要される女性を同時に描くことで、いつそちら側に行くかもわからない危うさの中に踊り子は身をおいていることが示される。
実際、学生も彼女が今夜男と床を共にするのではと不安にかられ夢に見ている。お座敷や学生を追いかける途中に男に絡まれるところを助けてくれる若旦那でさえ「いいだろう、生娘だぜ」と発言する。
彼女の価値はまだ誰にも蹂躙されていない汚れなき存在であることなのだ。

今の感覚でいえば、下田では別れたとしても本気なら大島(一座の故郷)まで迎えに行けよとか思ってしまうけれど、まあそこは時代のせいにしておく。
映画は、恋人と手をとって駆けていく学生の姿を見つめる教授の姿で閉じるが、時代の違いを強調する意味もあるのだろう。自分がなし得なかったことをしてみせる学生に何を思うのか。

蛇足だが、若い頃の高橋英樹の姿は貴重。自分はバラエティでしか見ないもので。

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鑑賞記録:ウディ・アレン『ブルージャスミン』

映画は主人公ジャスミンが機内で老婦人に夫との出会いから性生活の事まで話し続けるところから始まる。
荷物を受け取った老婦人はそそくさと立ち去るのだが、それもそのはず、ただ隣に座っただけなのに尋ねてもいないことを次から次に語り続けられていたのだ。
これだけで、ジャスミンが少し問題を抱えた女性だということがわかる。
ジャスミンはニューヨークでセレブ生活を送っていたが、夫が逮捕され破産したため、ブルックリンに住む妹(血は繋がっていない)のもとに身を寄せる。
破産したというのに席はファーストクラス、ヴィトンの旅行鞄(イニシャル入りだから売れないとの弁)というジャスミンに妹ジンジャーは呆れつつも彼女の力になろうとする。
しかし、ジャスミンは大学で勉強することを望んだりと、生計を立てようという気が見受けられない。ジンジャーの恋人チリが歯科医の受付の職を斡旋しようとしても、自分に相応しい仕事ではないと断る。おまけに、インテリアコーディネーターのWeb講座を受講するために、先ずはコンピューターの勉強から始めるという始末。
ここまで見るとジャスミンは只の自分勝手な人間にうつる(実際その通りだ)が、彼女の問題は心にあることが徐々にみえてくる。
映画では現在のジャスミンと過去のジャスミンが交錯し、彼女が囚われる過去の生活とそれが破綻した経緯が明かされていくのだ。

ジャスミンは一貫して変わらない。破産したのにブランドものを身に着け、自分を助けてくれている妹にも上から目線。あまり感情移入できる主人公ではない。彼女が落ちぶれていくのも自業自得に思えるかもしれない。
だが、その救いようのないジャスミンに、人の悲しさ弱さが見えてきて最後まで目が離せない。彼女に救いはあるのだろうか。

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鑑賞記録:『パンク侍、斬られて候』

このところ気持ちが落ち込みがちで
青春ものやヒューマンドラマを見る気がしない。
そんな気分にぴったりの映画を見ることにした。

パンク侍、斬られて候』は
町田康の原作に宮藤官九郎の脚本。
普通の本格時代劇であるはずがない。
これは豪華な出演陣を使った
贅沢でめちゃくちゃな映画。
そんな期待を裏切らず、
本当にめちゃくちゃな映画だった。

特に配役は贅沢でしかもぴったり。
主演の綾野剛もそうだけど、脇を固める俳優も流石の演技。
全力でこのめちゃくちゃな世界を創造するのに貢献している。
その振り切りぶりに圧倒される。
全員クセがあり過ぎる。
誰も負けてない。
原作者の町田康が切られ役で出てきた時は
何やってるの町田康!と思ったけど遊び心ですね。

東出昌大演じる超堅物藩主が面白くて
あ、この映画にまともなキャラはいないんだと
駄目出しをしてくれる。

この世界にまともなんて求めちゃいけない。

別れの予感と心の準備

祖父の死を日々の生活に埋もれさせて、心の平穏を保っていた。
そんな中、母から聞いた祖母の近況は不穏なもので、じわじわと日常を侵食している。
祖母の心臓の動脈に石灰化がみられ、対策としては手術しかないが、高齢のため手術をすることはできないという。胸が苦しいと感じたらすぐに病院へと言われているらしいが、そんなものは気休めでしかない。
リスクが高まっているというだけで、別に今日明日死ぬと決まったわけではない。そう思う事で、気を鎮めることにしている。案外、大丈夫かもしれないと。
でも、いつ心臓が止まってもおかしくないという恐怖は確かにある。
人はいつか必ず死ぬ。そしてそれはある日突然やって来る。その事を祖父の死で思い知ったではないか。
死は避けられない。あと10年はなんて願ってはいるが、それは贅沢な望みなのかもしれない。
もう大切な人を失う辛さを味わいたくない。いっそ自分が先に死ねたらいいのにとさえ思う。
でも、仮に今自分が死んだら、祖母はショックを受けるだろう。それは避けたい。
自分にできることは、元気な姿を見せることくらいしかない。他に何ができるだろうか。
遠からず死別の時は訪れるだろう。たとえ願いが叶って10年後だったとしても。
実際にその時が訪れたら自分はどうなるかわからない。きっと何をしても悔やむだろう。